のすたる爺や

日々の出来事ちょっとしたエッセイ。

こんにゃく問答

のすたる爺や

 お茶の茶うけにタケノコの煮物をごちそうになりました。不思議なもので。田舎料理の煮物は板前の達人でも婆さんには太刀打ちできない特異な分野です。
 人柄が反映される料理なので、温厚な人が作るとまろやかな味わいになりますし、短期で鉄火肌の人が作るとどこか硬い味付けになります。横着者には横着者のよさがあるようで、材料にじっくり味がしみていたりで侮れない。各国にスピリチュアルな煮物料理があるのもうなづけます。

 

 今回ごちそうになったのはタケノコとゼンマイとフキの煮物で、おばあさん曰く「みんなそこらへんに生えてたもの。」
 しかしながら「馳走」と言う意味合いにおいてはまさに王道で、スーパーの野菜コーナーのごとく一カ所に生えているわけではない。あちこち野山を歩いて入手してきた素材です。
 ゼンマイなど昨年とったものを筵に広げて、何日も手もみしながら干したもので、人件費を考えたら超高級素材です。

 

 お茶だって、この親しみやすい安っぽい味わいは葬式の引き物のお茶でしょう。今年はずいぶん葬式があったから。
 葬式のお茶とて見る角度を変えれば、人様の人生終焉の遺産のようなもので、得難い品物です。この出がらしのお茶のように味気ない人生だったんだなと故人を偲べば、「そういうこという前に香典はずんだらどうか?」と言われそうなので、心よりご冥福をお祈りします。化けてでないでね。

 

 煮物の中で唯一そこらへんに生えている素材でない物がありました。コンニャクです。こちらはコンニャクの産地ですから、そこらへんに生えていることは生えていますが、農家が鬼のように手間暇かけて作った農産物です。

 

 考えてみれば、コンニャクの食い方を考えついた人類の英知も頭が下がるもので、コンニャクの芋が食用になるまで3ー4年かかります。
 冬は凍結させないように掘り出して倉庫で保管し、春にまた植え付けて芋を育てる。出荷するまでの手間も大変ですが、これを食べられるように加工するのがまた大仕事です。

 

 触ると痒くなるのでゴム手袋をしてコンニャク芋をすり下ろし煮るのですが、このとき厳格な水と芋の重さの対比が要求されます。煮る最中もちょっと手を休めるとすぐに焦げ付くので、休む暇なく鍋をかき回し、湯気に当たると顔が痒くなります。
 最後に重曹を入れて固めるのですが、これも重曹の量をしっかりと比率通りにしなければなりません。

 

 ここまで手間暇かけて作った食材がカロリーゼロと言うのですから笑っちゃいますが、ミネラルの宝庫です。

 

 味の良くしみたコンニャクを食べながら「仏教のお経にコンニャク経ってぇのがあるっつげだい。」
 そりゃなんだい?落語のネタかい?南無観世音蒟蒻菩薩、アブラヒカエメソワカなんて読むのかね。なんて笑いながらふと思い出しました。涅槃経(ねはんきょう)のことかな?

 

 諸行無常、是消滅法(ぜしょうめっぽう)、消滅滅已(しょうめつめつい)、寂滅為楽(じゃくめついらく)。なんて句が出てくる経ですね。
 たしか涅槃経と書いて「こんにゃくきょう」という呼び方があったはず。

 

 と、毎度のことですが妄想に陥るわけです。俳優の沖雅也さんが飛び降り自殺したときの遺書に、「おやじ、涅槃で待つ」と書かれていたことから、広く庶民にも「涅槃」という言葉が浸透しましたが、あれを「おやじコンニャクでまつ」と読まれていたらどうなっただろう?

 

 三途の川の船着き場の茶屋で、おでんをつまみながらプロダクションの社長を待つ。問題はおでんを食べる順序だ。私はコンニャクから先に食べて、最後は薩摩揚げ派なんですが、それだとおあずけ食らったみたいになってしまいます。角生やして虎のスカートはいた鬼のウェイトレスに「下げていいですか?」なんて言われて「もうすぐ連れがくるので、ちょっと待っててください。」なんて言ってるのも絵にならない。

 

 やっぱ、沖雅也さんは玉子から先に食べる派だったんだろうか?黄身を食べるときに汁を飲みたくなるよな。で、それから薩摩揚げに行って、竹輪、お店によっては大根もあるだろう、でもハンペンだったらどうなるのか?あれだけの俳優さんだ、香典たくさん集まっただろうから、ガンモドキやキンチャクも入っていたかもしれない。静岡おでんなら牛すじも欲しいところだ。でも、最後には汁がなくなって干からびたコンニャクが残る。人生とはそういうもんやったんや。

 

 集団的自衛権や憲法改正なんかに比べれば実に些細でどうでもいい問題です。でも、「些細なことが気になる性分でして」と水谷豊演じる杉下右京警部の心境です。

 

 こんにゃく問答、お後がよろしいようで。