鎌倉散策
11日12日とお寺の行事で鎌倉方面に行ってきました。
早朝6時にバスで出発。最初に鎌倉の円覚寺と建長寺に参拝しました。
高速道路が東京都心を通らずにつながるようになったので、予想してよりスムーズに神奈川県入りができました。道路がすいていたこともあり、出発して3時間少々で鎌倉に入ることができましたが、鎌倉の道は狭いので市内に入ってから手間を食いました。
最初に行ったのは円覚寺です。

さすがに円覚寺は臨済宗の本山だけあって敷居が高い。
実は円覚寺境内で管長様にばったりお会いしました。こちらのお寺(曹洞宗)から随行してくれた副住職が気が付いたのですが、お寺の幼稚園の入園式に行ってきたところだったそうです。副住職の服装で「曹洞宗の方ですね」と気がつかれたようです。

小学校の修学旅行は鎌倉だったのですが、円覚寺にはお参りせず、初めてお参りしたのが大学生の時でした。
鎌倉五山(建長寺・円覚寺・寿福寺・浄智寺・浄妙寺)を一日で周っちゃおうじゃないかとバイクで周りましたが、駐車場のことなんて気にしたこともありませんでした。
平成のはじめに来た時は自動車でしたが、この時は車を途中の駐車場に置いて電車で来ました。

まるでお寺の敷地内にJR横須賀線の北鎌倉の駅があるようなシチュエーションで、この駅を拠点に源氏山方面や鶴岡八幡宮方面などを歩いたこともありました。
バスで来るのは小学校以来です。

円覚寺から次は建長寺へ。ちょうど八重桜が散りガタになっていました。


樹齢700年とも言われるビャクシンの古木。檜の一種です。

火災や津波や地震などで鎌倉の名刹は何かしらの被害を受けてきましたが、同じ寺町であっても武家とお寺が共栄していたところが京都と違います。
建長寺にも北条の家紋のミツウロコが掲げられていました。北条方だった沼田城が、利根川の反対側の名胡桃城(真田)をだまし討ちしたことから、豊臣秀吉の怒りをかい後北条は滅亡に追いやられるのですが、北条滅亡発端の地からやってきたのが我々です。

とにかくガイジンさんが多いことには驚きましたが、ニーハオ族を除くほとんどの外人さんたちは個人で電車やバスなどを乗りついでやってきています。
建長寺に隣接する鎌倉学園高校。卒業生には堺正章や桑田佳祐がいます。
この日はアメリカンスクールのような外国人学校と交流会があったみたいで、バスで乗り込んできていました。

お昼は鎌倉の御代田で。実は料理長が私の村の出身。今回はそのお兄さんもツアーに参加しています。

鎌倉駅から小町通を通って鶴岡八幡宮までは徒歩。胸にブルーリボンバッチをつけた我々一団がどちらかと言うと異様に感じた昨今の小町通。
ここは何処の国?と首をかしげたくなるほどガイジンだらけ。着付けサービスもあるようで、和服姿のニーハオ族が闊歩していましたが、歩き方ですぐにわかります。
おバアちゃん達が爆買いするので、八幡宮の駐車場に停めてあるバスまで荷物運んで往復するのが私の役目のようになってしまい、ご褒美はソフトクリームでした。

鶴岡八幡宮はニーハオ観光集団が大量に押しかけていてあちこちで写真を撮るために立ち止っているのでなかなか進まない。
写真を撮る人の邪魔にならないように遠回りして通り抜けるのが日本人。その前を平然と突っ切るのがニーハオ族。簡単に見分けがつきます。
建長寺は南宋の僧侶蘭溪道隆を招いて建立したお寺ですし、円覚寺の無学祖元も南宋の人。ニーハオ人が来るものわかりますが、八幡宮は連中には関係ないでしょう。それに、静御前に思い入れなんぞ持ちそうにもない。違和感満載でした。

来週行われる流鏑馬の準備が始まっていました。
八幡宮のそばに道元禅師の住居跡の石碑が立っていました。鎌倉禅師が道元禅師を呼んでこの地で仏教を広めてくれないかとお願いしたそうですが、世俗的栄達には興味がない人だったので、幕府の申し出を辞退して福井の永平寺に帰ってしまったそうです。
それで、京都から臨済宗の方々を呼んで建長年間に建立されたのが建長寺。お寺に元号がつくのは格式が高いのだそうです。

和の装いの着こなし方がよくわかっている日本のおねえちゃん。ニーハオ族がこんなことして歩いていたら馬鹿にされますが、日本のおねえちゃんならまぁ仕方ねぇか、と赦せてしまう。
多分、自前の着物なんでしょうね。裾が汚れたら大変だもの。

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