のすたる爺や

日々の出来事ちょっとしたエッセイ。

それでも防災

のすたる爺や

 フランス革命記念のパレードに日本の陸上自衛隊が参加し、凱旋門からコンコード広場まで行進したそうです。

 フランス革命と言うと1789年の7月14日のバスティーユ監獄襲撃なので、なるほど今頃の季節なのか。実際には前年のベルサイユでの三部会会議で革命は始まっていたようなのですが、バスティーユ監獄襲撃で民衆の放棄は手を付けられなくなりました。

 このとこはオスカル様もアンドレイも王室側にいたのですが、次第に革命側に移っていきますし、花屋の娘のシモーヌは自分がフランツ一世の落とし子でマリーアントワネットとは腹違いの姉妹であることも知らず美少女剣士ラ・セーヌの星となって活躍します。

 このあたりのフランス革命史なら本家フランス人より50代以上の日本のおじさんおばさんたちの方がはるかに詳しい。

 しかしまぁ、SMショーの女王様のような風体だな。背後にいるのが義賊黒いチューリップのロベールかな?

 その頃日本は岩木山や浅間山の噴火による天明の飢饉(1782年~1788年)の冷害の真っただ中で多数の餓死者を出していました。その数100万人とも言われています。

 ヨーロッパもアイスランドのラキ火山などの頻繁な火山噴火の影響で冷害に見舞われ、フランスでも農村が凶作で食い扶持を求めて農民が首都パリになだれ込んでいました。

 日本でも凶作で食えなくなった農民が江戸に押し寄せて治安が悪化したり、一揆や打ちこわしが相次いだようですが幕府は倒されることもなく持ちこたえたものの、明治維新につながる衰退への一里塚にはなったでしょう。

 異常気象による飢饉、侮れない問題です。

 非常事態に冷静な日本人でも1993年の冷害によるコメ不足に大騒ぎしたことがあります。あの時は馬鹿なマスコミが煽り立てていたのですが、農村目線からは秋口から気象条件が良くなって秋野菜は良かったので、九州方面の早場米は大丈夫と予想していましたが、米がなくなってしまうような妙な風評が飛び交っていました。

 天災も恐ろしいけれど人災ははるかに残酷で、ソビエトでは穀倉地帯のウクライナの豊作で「来年は2倍の収穫を約束します」と共産党が張り切ったおかげで、翌年の種もみまで供出してしまい大飢饉を招きが死者は一千万人を越えたのではなかろうか?と言われてます。

 それをさらに大型化したのがニーハオの毛沢東が1958年に打ち出した大躍進政策で、国の基幹は鉄!と農機具や鍋のはてまで供出して溶鉱炉に突っ込んで鉄砲玉作ったもんだから農村はガタガタになって餓死者が五千万人を超える大虐殺になりました。

 日本だって「コンクリートから人へ」でいったい何人犠牲になったのか?いまだにコンクリートに対する嫌悪感を持っている人がいるのには驚きますが、自分の身に降りかかってこないとわからないんでしょうね。要所要所、必要な対策はあるのですが、感情論で「全て」と位置付ける幼稚な思考からの脱却は死ななきゃ無理みたい。

 気象の潮目が変わったのはいつか?

 私の目線では昭和55年の猛暑でお江戸にいた頃ですが、水不足で講演の水道などには蛇口に針金を巻き付け、ホームレスの飲料水まで制限し、野菜が高騰して相場が上がったことで開墾地は日の目を見るようになりました。

 この頃から大型台風が来なくなったんです。と言うより、台風の規模が小さくなりました。

 70年代までは我が家の山林も台風一過で根こそぎ倒れるスギが大量に出ましたが、手入れができたこともありますが、その後は風で倒れるスギ林はありません。台風が風よりも雨になってきたのもこの頃だと思います。

 猛暑だ温暖化だと言われていますが、山の中のアブラゼミの生息区域は40年前と変わっていません。

 雨の対策と言っても水路のゴミ拾いくらいのもで、庶民の労力からではこんなもの。

 連休も沢のゴミ片付けさ。