のすたる爺や

日々の出来事ちょっとしたエッセイ。

帰家穏座

のすたる爺や

 7月に亡くなった叔母の納骨でした。普通49日に納骨なのですが、ここまで遅れたのは美魔女娘が自分の誕生日に納骨したい!と言い出したからでした。うん!この自己中心的な発想。さすかだ!

 いとこの中でこうした場合の役割分担というのが暗黙おうちにできているみたいで、私がお寺や石屋さんや写経などをたんとうし、近所に住む従妹の家がたまり場になり、私の弟が食事の仕出しを作る。90代になった伯母の送迎なども担当するいとこがおり、黙っていても役割分担ができている。

 この叔母の嫁ぎ先が墓じまいをしたために、散骨、樹木葬という形になる予定でしたが、子供達がそれは忍びないと言うことで、我が家のお墓に入れることになったのですが、祖父母にすればと継がせた娘が出戻りしてきたようなもの。生前に出戻りしなくてよかった。

 禅語に帰家穏座(きかおんざ)と言う言葉がありますが、簡単に言えば家に帰ってきてほっと一息というような意味ですが、突き詰めるとあらゆる邪心を捨てて悟ると言うことらしい。そこには良いも悪いも、幸せも不幸せもない。「平等」な境地で、つまり心が抜け落ちて漂うだけの世界かな?

 小説「猫と座敷童」を書きながら、座敷童とは元々なんだったのだろう?野に漂う木霊だったのかも知れない。なんてことを考えまして、それなら、木霊と座敷童はどう違うのだろう?と考えまして、人と接した座敷童は思考や心情を持つようになり、野に漂う木霊はそういう感情を一切持たず漂うだけ。と言う設定を思い付きました。

 で、番外編として「木霊」という小説を書いておりますが、これがどう展開するかはまだ思案中です。

 「猫と座敷童第三章、夏の部」は今月中にはKindleでなんとか出せると思います。ちょっと長くなったので、検討していますが、テーマは「中有」を模索してみました。

 なんだかね。面白い現象というのか?Kindleなのだからでしょうが、小説「死神」が英国で読まれているんですね。多分向こうの日本人が読んでいたのでしょうが、印税が英国ポンドで入ってきたみたいです。

 日本のKindleもペーパーバックの紙の本を出せるようになったようで、年内になんとかなるかな?と、模索中です。