如月
如月。いにしえの二月の呼び方ですが、まだ寒くて重ね着するから如月なんだという説もあります。確かに今朝は寒かった、氷点下二桁行ってたもん。
陰暦じゃまだ如月ではないんですけどね。
願わくば花の下にて春死なむ その如月の望月の頃 by西行法師。
如月の望月ってなると2月15日で、桜なんぞ咲くかい!ってなりますが、未だに国会で桜がどうのこうのいってる議員がいるんですね。このご時世、銀座の夜のクラブ活動にでた議員もいるみたいで、しばらくはそっちで賑わうのかな?
今日はこの地区の85歳のおばさんの葬儀に行ってきましたが、受付をして焼香してすぐに外に出され、お疲れ様。なんだか、踏ん切りがつかない思いです。斎場だって疫病パンデミックの現場になってしまっては大変ですからね。気持ちもわからなくはありません。
告別式最後にお寺さんの法話があるので、これが結構勉強になるので、香典払った元が取れる思いでメモ片手に参列する不届き者ですが、今日は焼香済ませて帰ってきました。
斎場の駐車場で年配の人たちと立ち話してきましたが、今年は明日の2日が節分。3日から立春で春なんですね。炒り豆作ったから帰りに寄っていけ。と言われて、豆まきの大豆をもらってきました。
そのまま豆まきももったいないし、鬼も、昨年末当たりから大変でしょ。鬼滅の刃で徹底的に敵視されちゃってますもんね。うっかり出て行けば何されるかわからない鬼の立場。しかも疫病のおかげで豆まき行事中止の神社仏閣も多いみたいですし、商売になんねぇんじゃなかろうか?鬼も持続化給付金もらえるのかな?
全集中。大豆の呼吸!炒り豆で炊き込みご飯作ってみました。血糖値にいいかな?

炒り豆もらいに行った家で針供養の話が出たんです。今頃の季節じゃなかったかな?と言ったら、2月8日が針供養の日らしいですね。都合がいいからと、節分で寺に行ったときに針供養もお願いしてきたから節分と重なって行う行事だと勘違いしていたようです。
針供養なんてかれこれ50年も前の行事じゃなかろうか?なんて話になりましたが、担当のおばちゃんが近所をまわって、使い古した裁縫の針をこんにゃくに刺して供養に持って行ったと記憶しています。
暮らしのために使った道具を「供養」と共にお役を解く。この奥ゆかしさが日本で、人も獣も、物さえも同じ目線で見ることができる感性だと思うのですが、連載している小説「死神」のテーマの一つはこの「供養」なんですね。
生前、どんなに立派なことをしようが、なくなってから供養されないと言うことはそれに値することをしていなかったからで、問われるのは人となり。なんてことを、遠回しに語ろうかと思っているのですが、あっちの世界が近くなってきたからこんなことを考えられるようになったのかな?

もうしばらくこちらにしがみついていたいので、マスクは純日本製にこだわってみました。もったいなくてまだ使っていないけど。貧乏性だから。
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